照徳山本久寺は、中山法華経寺の末寺で、戦国時代(室町時代末期)の、元亀3年(1572年)本乗院日能上人によって御開山されたお寺です。

日能上人の御命日等は不明であり、大正6年の大津波等により貴重な寺史の史料が失われております。 文化年間(1804年頃)発行の葛飾誌略によると、本久寺の山号は浄延山と書いてあり、のちに隣にあった本應寺というお寺と合わされて、本應山本久寺となったと記載されています。

なお、元禄15年(1702年)の寺院検地水帳には、本應寺の名があり、存在していたことが確認されています。 現在、当寺院の正式名称は、照徳山本久寺であるが、山号がいつ、本應山から照徳山に変わったかは、わかっておりません。

当山本堂に安置されている祖師像(日蓮聖人の木像)は、今でこそきれいに改修されておりますが、これは日蓮宗総本山身延山久遠寺第11世法主行学院日朝上人の御自作であります。 この日蓮聖人像は眼病守護日蓮大菩薩として、古くから当山に言伝えられています。

現在の本堂は、平成8年に立教開宗750年慶讃記念法恩事業として改築いたしました。 堂内には、日蓮聖人のご偉徳を偲んで、日蓮聖人ご誕生からご入滅までの一代記を欄間にし掲げております。

当山に安置されている鬼子母神像は、行徳の仏師、浅子周慶作です。 
浅子周慶という名は代々受け継がれている名前であるが、残念ながら何代目の浅子周慶作なのかは定かではありません。現在の鬼子母神像は、平成19年10月に、第16代浅子周慶氏により修復されております。
しかし、第16代浅子周慶氏が修復直後に急死されてしまい、室町末期応仁年間から続いていた名は絶えてしまった。
このことから、今後、浅子周慶氏によって修復する事ができなくなってしまった為、鬼子母神像は8 ・18 ・28 日のみ、お開帳することになりました。
(事前に御連絡いただければお開帳いたします)

鬼子母神像の横に安置している大きなしゃもじは、安産しゃもじです。
このしゃもじは、平成13年度日蓮宗大荒行堂で使用していた実際のしゃもじです。安産祈願を行う際に使用いたします。