日朝上人は応永29年(1422年)1月5日に、伊豆宇佐美村にお生まれになり、8才で出家され行学二道(修行と学問)に励みました。 そして41才の時に、身延山久遠寺の第11世法主になられ、現在の身延山の基礎を築かれました。

日朝上人は、宗門の統一、学僧教育の確立、身延山の整備拡張、500巻に及ぶ著述、そして、生涯を掛けた関東一円の新寺建立40余ヶ寺等々、業績は正に数え上げればきりがありません。爾来、日蓮宗では、日朝上人を「宗門中興の祖」と仰ぎ、その業績を讃えて参りました。

日朝上人61才の時、永年にわたる止暇断眠の苦行と教化ご精励の過労から両眼失明の厄に遭われましたが、それを自らの不徳として懺悔し、ますます不惜身命の精進を続けられましたところ、経力により眼病は全く快癒いたしました。

67才の時に、「眼病消滅本尊」をお書きになられ、後世、法華経を信仰する人々が眼病で苦しんでいたら、守護して平癒させると言う願(がん)を立てられました。

爾来、「目の神様」、「学業の神様」として多くの人々より親しまれております。

本久寺に安置されている日朝上人坐像は、本久寺開山440年の砌として、平成24年に建立されました。
身延山覚林房内にある、日朝堂に安置されている日朝上人坐像をモデルに彫っていただきました。
完成後、覚林房第42世住職に開眼していただきました。
仏師は木村鶴光氏。


1967年東京都台東区の木村鶴光仏具店の次男として誕生。
1988年自分が継がないと仏師としての鶴光の名が絶えてしまうので後を継ぐ事を決意。
雑司ヶ谷に工房を構える藤田良夫氏(初代木村鶴光の弟子だった渡辺貞光氏に師事)に弟子入り。
藤田氏の工房にて学んだ後に、父親2代目木村鶴光の元で彫刻に励む。
2005年2代目木村鶴光死去。
3代目木村鶴光を襲名する。

このお守りは、カード型の眼病守護のお守りです。堂内の日朝上人像後ろに掲げてある、眼病守護の御曼陀羅を、そのまま縮小してお守りにしております。
なお、眼病祈願並びにその他の祈願、祈祷をお受けになられる場合には、事前にご連絡ください。
お守りは、眼病・交通安全・学業・厄除け・安産と5種類あります。祈願、祈祷をお受けにならなくても、購入できます。